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奥越紀行⑯(終)ーパピリンー(H.28.7.7記) [旅日記]

5月23日。勝山、大野を巡った奥越観光を終えて福井駅に戻りました。

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この旧友5人組の「奥越紀行」も今日が最終回です。

前日の5月22日に福井駅に集合した際に外観を眺めた、福井駅西口再開発ビル「パピリン」に向かいます。

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この「パピリン」は、JR福井駅の西口再開発事業として建設が進められ、本年4月28日にグランドオープンした、商業複合ビル。

憩いと集いの広場、観光案内所、観光物産館、多目的ホール、ボランテイアセンター、プラネタリウムなどががあり、中心市街地の交流拠点として、ふくいの魅力的な情報発信基地となっています。

「ハピリン(Happiring)」とは、英語で幸せを意味する「ハッピー」と、輪の「リング」を掛け合わせ、ビルを中心に幸せの輪が広がってほしいとの思いが込められているとのこと。

1Fエントランスの広場、ハピテラスです。

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ハピテラスの前面にはバス乗り場のある駅前ロータリーが。

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ロータリーの一角にある、福井鉄道の乗り場。

福井鉄道は昭和30年代から名古屋鉄道の資本傘下にありましたが、10年前に名鉄が撤退し、地元自治体、地元資本による経営再建が進められています。

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「パピリン」の1F、2Fを短時間見物しました。

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2時過ぎにパピリンの1Fで、名古屋組のFさんと私は、富山組のNさん、Wさん、そして今回格別のお世話をいただいたMさんとお別れし、駅東口の高速乗り場へ向かいました。

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帰りの「名古屋行き高速バス」の運行会社は「京福バス」です。乗り場に到着しました。

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乗車します。

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14時30分、定刻。福井駅東口を後にして、名古屋に向けて出発しました。

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今回の幹事を担当していただいた、Mさん。2日間格別にお世話になり、誠に有難うございました。

旧友5人組の皆さん、次回は秋の富山小集合でお会いしましょう!(終り)


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奥越紀行⑮ー八助蕎麦ー(H.28.7.6記) [旅日記]

5月23日。奥越の小京都「大野市」観光を終え、福井へ戻る途中、勝山市内の「蕎麦」の名店に寄りました。

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幹事のMさんの運転で勝山市内をナビを頼りに「八助」を目指しましたが、赤色点線の曲がり角がすぐには見つかりません。青色線→方向に行き過ぎ、黄色線→方向にUターンしても、曲がり角がわかりません。再度Uターンして、赤色線でゆっくり走行。ようやく、くるま1台がやっと進入できる細い路地を見つけることが出来ました。(汗;;)

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細い路地を曲がって、やっと「八助」のお店に到着しました。

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入店します。

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 入店して間もなく席が空きました。

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メニューは「おろし」「ザル」「山かけ」「かけ」と、そば4種のみです。おろしそばを注文しました。

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もともとは「八助」という名の先々代が戦後粉挽き屋を始め、その孫にあたる現在の主人が13年前に「蕎麦屋」を始めたとのこと。

店内で石臼製粉した挽きたての蕎麦粉を手打ちし、打ち立て茹でたてのお蕎麦が味わえるので評判のお店だそうです。

お蕎麦が出てくるまでの間、Nさんと私は「秘之一本義」なる秘蔵酒を注文しました。

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地酒をいただきながら、昨日、今日の奥越旅行の話題で盛り上がります。

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お蕎麦が出てくるのを待つ間に、お客さんがどんどん入店してきます。(写真はありません)やはり人気があるのですね

お待ちかね、「八助」自慢の二八そばが出てきました。

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大根おろしをかけて、風味の良いおろしそばをいただきました。のどごしの良い細麺です。

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幹事のMさんお勧めの「八助」蕎麦を堪能して、お店を後にしました。

我々がお店を出た途端こんな看板が出されました。「売り切れご免」のお店の面目躍如といったところでしょうか。

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そう言えば3年前の越前旅行では、福井市の「けんぞう蕎麦」をいただきましたね。(ココポチでどうぞ)

福井県といえば「蕎麦」なんですね。(続く)


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奥越紀行⑭ー朝倉義景墓所ー(H.28.7.5記) [旅日記]

5月23日。「大野市」観光もいよいよ最終コース。住宅地の中にある「朝倉義景墓所」です。

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杉木立に囲まれた、高さ1.5mの五輪塔が朝倉義景のお墓です。

戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉家の5代当主である朝倉義景は、1573(天正元)年信長の攻撃を受け一乗谷から大野に逃れ、一族の朝倉景鏡にそむかれて自刃しました。

この墓所は、義景が自刃した六坊賢松寺のあったところといわれています。

福井市城戸ノ内町には戦国時代に栄華を極めた朝倉家の一乗谷遺跡がありますが、 一乗谷の朝倉遺跡は、平成25年3月に今回の幹事であるM君にご案内をいただきました。(3年前のマイblogをココポチでどうぞご覧下さい)

墓所に隣接して「義景公園」があります。

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門をくぐって進みますと「義景庵」が。

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「義景庵」の左手に「水琴窟」がありました。

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近寄って耳を澄ませると、「琴の音色」に似た水の滴り落ちる際の妙なる音が聴こえました。

「水琴窟」とは・・・

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WEBを検索しましたら、こんな動画が見つかりました。(動画が始まってすぐ、水琴窟の妙なる音色が聞くえてきます)



墓所のすぐ前には「義景清水」と呼ばれる湧水池がありました。

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池に近づいて、湧水源付近をよく見ると「イトヨ」が沢山泳いでいるのが見えました。

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「イトヨ」は国の天然記念物。平成17年には大野市の「市の魚」に指定されたとのこと。

「義景清水」で貴重な天然記念物を眺めることが出来てラッキーでした。

「朝倉義景墓所」を最後に、大野市観光を終えて、勝山経由で福井駅に戻りました。(続く)


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奥越紀行⑬ー平成大野屋-(H.28.7.4記) [旅日記]

5月23日。「武家屋敷・旧内山家」を出ると、「二階蔵」という建物が。

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ここにも「清水(しょうず)」がありました。

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「水舟清水」です。かつて谷や川から取水した水を利用するための貯水槽であった「水舟」をかたどっているそうです

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続いてすぐ近くの「結楽座」という特産品販売所に。

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「二階蔵」も「結楽座」も「平成大野屋」が経営する商業施設。

「平成大野屋」は市民と行政のまちおこし情熱から誕生した株式会社で、大野市と大野市民132名が出資して設立された市民参加型の第3セクターの会社。

「大野屋」と言えば、幕末の大野藩藩主、土井利忠が財政再建を目指して創設した「藩直営の商店」が「大野屋」。

全国に37店舗を展開し、大野の産品を他地域で販売し、その地域の産品をまた別の地域で販売するといった経営方法で、着実に利益をあげ、藩の財政再建に大きく寄与しました。

さらに開店から数年後には「洋式帆船 大野丸」を完成させ、洋上交易によりさらに収益をあげました。

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この藩主を補佐し、「大野屋」の経営を担ったのが、家老「内山良休(うちやまりょうきゅう)」。

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この幕末大野藩の名藩主と名家老の開拓精神を現代にに引き継いだ「平成大野屋」。

「天空の城・大野城」で一躍脚光を浴びている大野市の更なる飛躍の「礎」となることを期待したいものです。(続く)


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奥越紀行⑫ー旧内山家ー(H.28.7.2記) [旅日記]

5月23日。旧友5人組の越前大野市内観光。

「越前大野城」の後は「武家屋敷・旧内山家」に向かいました。

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この屋敷は、幕末期に大野藩財政の再建に尽力した、大野藩家老の内山七郎右衛門良休と弟の隆佐良隆の偉業を偲ぶため平成5年に、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したもの。

入口からの外観です(パンフレットから借用しました)

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建物の配置図です。

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駐車場から見た母屋。

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入口の案内看板です。

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幕末、天保13年(1842)、大野藩主土井利忠は行き詰まった藩財政を立て直すため、「更始の令」と呼ばれる改革令を出しました。

内山七郎右衛門良休・隆佐良隆兄弟はこの時から始まった藩政改革に尽力し、殖産興業・人材育成など各種の事業で成果を上げました。

七郎右衛門は特に、藩営商店の「大野屋」を開設、銅山経営など経済面で手腕を発揮し、多額の借財に苦しんでいた藩財政を立て直し、万延元年(1860)、家老職に就きました。

弟の隆佐は蝦夷地開拓の推進、洋式帆船「大野丸」の建造、蘭学の振興、軍備の刷新等を行ないましたが、52歳で病気のため亡くなりました。

七郎右衛門は、廃藩後も士族の救済を図るなど活躍し、明治14年(1881)、75歳で亡くなりました。

武家屋敷旧内山家は、2人の遺業を偲ぶため、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したものです。

(以上はウイキペデイアより)

入口から入館しました。

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母屋を通って離れを拝見しました。

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母屋他から眺められる庭園はなかなかの眺めです。

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内山七郎右衛門良休の肖像画。

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大野丸の模型も展示されていました。

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内山家に伝わる、当時の福井藩主、松平春嶽筆による詩幅も展示されていました。(一部、写真がピンボケですみません)

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幕末の大野藩の財政危機に果敢に対処し、藩製商社「大野屋」を創設、交易船「大野丸」を建造して藩財政の再建に成功した、内山七郎右衛門良休と弟の隆佐良隆。

現代の日本にも、こんな人材が求められているのでしょうね。(続く)


  


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