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奥越紀行⑪ー金森長近ー(H.28.6. 29 記) [旅日記]

5月23日。越前大野城の登城を終えて少し進んでゆくと左手に大きな銅像が見えました。

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「金森長近」像です。

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金森長近とは織田信長の武将で、1575年に大野郡を与えられ越前大野城を築城。京都に似た碁盤目状の城下町をつくりました。その後秀吉に仕え、1586年飛騨国を与えられ、飛騨高山に移り高山城を築城しました。

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関ケ原の戦いでは東軍につき、徳川家康から高山藩初代藩主を任ぜられたそうですが、信長秀吉家康と戦の三英傑の下で戦を生き抜いた歴戦の猛者だったようですね。

金森長近像をしばし見上げたあと、百閒坂を経由して下山を始めました。

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百閒坂経由でゆっくり下山し、登り口付近に帰ってきました。

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お城の入り口付近の百閒堀に沿った通路際では石楠花が見事に花開いていました。

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大野城の後は「武家屋敷・旧内山家」に向かいました。(続く)

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奥越紀行⑩ー天空の城ー(H.28.6. 28記) [旅日記]

5月23日。旧友5人組が天守閣に登城を済ませた、越前大野城の入場券です。

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裏にはこんな「登城証明書」が。

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”天空の城”越前大野城と記されています。

そういえば、大野城の登り口手前の民俗資料館の前にこんな写真と解説看板がありました。

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”天空の城”越前大野城の幻想的な写真はどこから撮影しているかな?、という素朴な疑問に、大野市の観光パンフレットが答えてくれました。

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観光パンフレット・「結の故郷 越前大野」のP17~P18に載っていました。

大野城のある亀山の西側にある、犬山(戌山)という山から撮影が可能で、10月~4月の明け方からAM9時ごろまでの時間に湿度、気温、風などの条件がそろうと雲海が出現するのだそうです。

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犬山(戌山)城〔標高180m〕は、1379年、室町幕府管領の斯波氏の一族によって築かれ、金森長近が越前大野城を築くまで越前・美濃国境間の要とされてきました。途中斯波氏の内紛を機に朝倉氏の居城となりましたが、それは斯波氏一族の家督争いが発端となっていて、応仁の乱の一因になったともいわれています。

15 73年「一乗谷の戦い」で朝倉氏は信長に滅ぼされ、1575年金森長近が一時入城しましたが、大野城へ移り廃城となりました。

この犬山(戌山)から眺める「天空の城・越前大野城」は、大野市のアマチュアのカメラマンが撮った写真を美術展に出品したことがキッカケで大野市の観光課スタッフの目にとまり、大野市の観光の目玉としてクローズアップされているとのことです。

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兵庫県朝来市の竹田城趾が天空の城(日本のマチピチュ)として人気が急上昇し多くの観光客がやってくるようになって以来、越前大野城のほかに日本全国で雲海を前面に出した「天空の城」が続々名乗りを上げているようで、TV番組でも大きく取り上げられたようです。
 



大野市の「天空の城ギャラリー」のサイトはこちら。(ココポチでご覧ください)

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雲海に浮かぶ「天空の越前大野城」。一度この目で見たいものですね。(続く)


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奥越紀行⑨ー天守閣ー(H.28.6. 26記) [旅日記]

5月23日。大野城(亀山頂上249m)に着きました。お城の入り口へ向かいます。

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越前大野城は1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近が、その翌年亀山(大野盆地の小孤峰)に築いた城。築城には数年間を要した。

その後、越前松平家が3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで目まぐるしく城主が替わった。

城は1775年(安永4年)に焼失し、1795年(寛政7年)には天守を除いて再建されたが、明治維新後に破却された。

昭和43年に大野藩士の子孫、萩原氏の寄付により天守閣が再建され今日に至っている。

いよいよ入城(入場)です。

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階段を上って天守閣へ。

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館内に展示されていた、藩船「大野丸」の模型。

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天守閣で記念写真です。

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天守閣からの素晴らしい眺望をご覧ください。

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上の写真の中央に見える山が「荒島岳」のようです。

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天守閣からの眺望を楽しんで大野城を後にしました。(続く)

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奥越紀行⑧ー大野城ー(H.28.6.25記) [旅日記]

5月23日。大野市の町中、七間朝市と寺町通りを見学した後、いよいよ大野城へ向かいました。

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七間通りにある観光案内所です。

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結(ゆい)ステーションから案内看板に沿って大野城を目指します。

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南登り口から大野城を目指します。

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晴天に恵まれ、新緑の葉陰から射すまぶしい光を浴びながらゆっくりと登ってゆきます。

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最短ルートではなく遊歩道を選びました。

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見晴らしがよくなってきました

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この階段を登りきると頂上に到着します。

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亀山頂上(249m)まであと一歩。大野城をバックに集合写真を撮りました(続く)

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奥越紀行⑦ー寺町通りー(H.28.6.24記) [旅日記]

5月23日。旧友五人組の大野市散策は、七間朝市から寺町通りへ。

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約400余年前に、織田信長の武将金森長近により京の都に模して碁盤の目の町づくりが始まった大野市。

町の東端にお寺を集めて「寺町」をつくり、そこから西に向かって、五番・四番・三番・二番・本町通りを配置しました。

「寺町」には南北に約20ヶ寺が並び、市民の心の拠り所としての長い伝統をはぐくみ、人々にやすらぎを与えています。

七間通りと寺町通りの交差角から眺める七間通り。

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七間通りを北に折れて寺町通りに向かいます。

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寺町通りには9宗派16ケ寺が並んでいます。

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⑩の「妙典寺」

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⑦の「大寶寺」

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お寺の名前は失念しましたが、このお寺の庭先で石碑が目に留まりました。

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近寄って見ると、幕末の「箱館戦争 戦死者 墓碑」とあります。

大野藩は幕末に新政府軍に加わり、200名の藩士が従軍し11名の戦死者を出したそうです。

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寺町通りから「八間通り」を眺めます。

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八間通りを少し進むと大野城が遠望できました。

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寺町通りを短時間散策して、大野城へ向かいました。(続く)

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奥越紀行⑥ー七間朝市ー(H.28.6.22記) [旅日記]

5月23日。旧友5人組の懇親旅行の2日目。

大野の宿、旅館扇屋での楽しかった懇親会の余韻に浸りつつ、大野市内の観光に出かけました。先ずは「七間朝市」です。

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碁盤の目のような通りの七間(しちけん)朝市通りにたつ朝市は、400年以上の歴史を誇っていて、生産者が地面に農産物や加工品を並べ、お客さんが楽しい買い物を行える市。

毎年春分の日~大晦日までの朝7時~11時頃、農家のおばちゃん達が丹精込めて育てた農産物を路上にところせましと並べて青空直売を行っている。

七間朝市は、新鮮な野菜達もさることながら、くったくのないおばちゃん達との大野弁丸出しの会話と、食材に関する調理方法などの情報交換も、ここを訪れる楽しみの一つだそうです。

通りの全景の写真を撮り忘れましたので、観光パンフレットから朝市通りの全景ショットを拝借しました。

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出展者募集の看板が目を引きました。

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露天のお店には野菜のほかに沢山のお花も。

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このお店は「順和堂」というお菓子屋さん。「水饅頭」や「葛饅頭」が有名だそうです。

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お店の前に、誠に涼しげで美味しそうな「水饅頭」が。

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ついつい店内に足が向いて酔い覚ましに「水饅頭」をいただきました。

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続いて、呑み助5人組には欠かせない、地酒のお店に向かいます。店先の「旗」の下の方で旗の陰になっていますが、ここにも「清水(しょうず)」が。

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「七間清水」だそうです。

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お店の名前は「花垣」。大野が誇る地酒の醸造元。

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店内の陳列棚には昨晩幹事のMさんがご用意いただいた「大吟醸・花垣」も。

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5人組の何人かはお土産を仕込んで、次の見どころ「寺町」へ向かいました。(続く)

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奥越紀行⑤ー大野へー(H.28.6.21記) [旅日記]

5月22日。勝山市を後にして大野市へ。

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途中、「恐竜博物館」の案内表示が。

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恐竜博物館は3年前のH25年3月に今回と同じ5人組で見学に行きました。(3年前の我がblogはココポチでどうぞご覧ください)

車の左手に「勝山城博物館」を眺めてしばらく走ると、もう大野市に入ります。

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写真ではちょっと読みずらいですが、「あっ宝んど」という立て看板が見えました。ここはもう大野市のようです。

何の施設かと後で聞きましたら、「あっ宝んど」は大野市にある健康保養施設。屋内・屋外プール、フィットネスルーム、整体、お食事処を備えているとのこと。「あっ宝んど」=「暖か(あったか)ランド」という語呂合わせネーミングでしたか。

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中部縦貫道、大野ICは近いようです。

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大野市の位置図です。

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大野市は福井県内の市町の中では最大の広さを持ち県面積のおよそ5分の1を占める。市街地はかつての城下町の面影を強く残し、越前の小京都として知られる。人口は約33000人。

天正3年(1575年)、織田信長より一向一揆討伐の命を受けて、金森長近が美濃から大野に進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる亀山に大野城を築城、その東麓に城下町を造った。以後今日まで、大野市は奥越地方の中心地として栄えてきた。山頂にそびえる天守と短冊状に区切られた町並み、中世から近世にかけて築かれた寺院が甍を連ねる寺町通り、城下町誕生のころから続くとされる七間朝市など、400年を超える歴史を彷彿とさせる景観を今も色濃く残していることから、「北陸の小京都」と呼ばれている。(ウイキペデイアより)

大野城に到着しました。案内板に従って入城します。

お城まで20分の標識が。

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昔は「亀山城」と呼ばれていたようですね。

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時刻も16時を過ぎていましたので、大野城登城は明日に延ばし、あらためて登り口から大野城の偉容を見上げて宿へ向かうことに。

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宿へ向かう途中の、「新堀清水(しょうず)」。大野市は「豊かな水」に恵まれています。

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今日の宿は、大野城まで5分の「扇屋旅館」。大野市の有数な老舗旅館です。

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(写真を撮り忘れたので旅館のパンフレットから借用しました)

旧友5人組の年に一度の一泊旅行・懇親会。

美味しいお料理と幹事のMさんがご用意いただいた大野の地酒「大吟醸・花垣」のおかげで、夜遅くまで大いに盛り上がりました。(続く)

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奥越紀行④ー勝山(後)-(H.28.6.20記) [旅日記]

5月22日。「はたや記念館・ゆめおーれ勝山」を見学した後、「大清水(おおしょうず)」へ向かいました。

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かつて勝山の市街地には数多くの清水が湧いていたそうですが、ここ後町(うしろまち)の大清水(おおしょうず)は貴重な現存清水。不動明王をお祀りして大切に保存されています。

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橋の下をくぐって「河原町通り」へ。

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河原町通りです。

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そうか、繊維産業が隆盛だったころは大いに賑わったのでしょうね。

通りを歩いてゆくと往時の面影を残す建物がありました。

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近寄ってみます。

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この建物は「花月」という料亭だったようです。

三味線の音や酔客の嬌声が聴こえてきそうな「河原町通り」を後にして、大野市へ向かいました(続く)


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奥越紀行③ー勝山(前)ー(H.28.6.19記) [旅日記]

5月22日。福井市内で昼食をとったあと、旧友5人組は勝山市へ。

勝山市は福井県東南部に位置し、人口2万4300余人の市。かつては繊維産業で栄えましたが、近年は福井県恐竜博物館で有名になりました。

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中部縦貫自動車道の勝山JCを下りて、市内の「はたや記念館・ゆめおーれ勝山」に向かいます。

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「はたや記念館・ゆめおーれ勝山」に到着しました。

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「はたや記念館ゆめおーれ勝山」は、織物の世界が楽しめる市の指定文化財。明治38年から平成10年まで勝山の中堅機屋として操業していた建物です。


昭和時代に活躍した織物関連の機械が臨場感たっぷりに動く様子は必見。はたおり機を動かしたり、まゆから糸を取ったり、体験しながら織物産業の歴史や織物のしくみが学べます。手織りコースター体験やまゆ玉クラフト体験も大人気。自分のオリジナル作品づくりが満喫できます。

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1Fで展示実演されていた、実際に機屋(はたや)で使われていた機械。

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勝山で織物業が本格的にはじまったのは、明治時代の中ごろのことです。当時の製品の中心だった「羽二重」(はぶたえ)と呼ばれる平織(ひらおり)の美しい絹織物も展示されています。

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「手織り体験」のコーナーでは子供たちが オリジナルコースター作りに挑戦していました。

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昭和初期から戦前にかけて、福井県は「人絹王国」と呼ばれました。人絹とは人造絹糸(レーヨン)のことで、当時、国内の人絹織物の大半が福井県で織られていたためです。勝山でも、人絹織物業がさかんになり、昭和9(1934)~12年ごろに最盛期を迎えました。

昭和20年(1945)の敗戦時、勝山の機屋(はたや)の操業率は、戦前の3割ほどに低下していました。しかし、戦後には復興政策や「ガチャマン」景気により、戦争の痛手から立ち直り、めざましい復興をとげました。

その「勝山の織物産業の歴史」が2Fの歴史ギャラリーで詳しく展示されています。

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また2Fには糸繰機など機屋の機械が展示されています

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「ゴザ織り」の実演もやっていました

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日本の、そして勝山の「繊維産業」の歴史を学び、貴重な文化遺産を見学したあと、「記念館」の入口で記念撮影をして、「ゆめおーれ勝山」を後にしました。(続く)

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奥越紀行②ー勝山へー(H.28.6.17記) [旅日記]

5月22日12時半過ぎ。福井駅改札口コンコースに旧友5人組メンバーが全員集合。

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先程名古屋からの高速バスを降りた際に駅東口のバス降車場で目に入った高層ビルが「何」なのか、駅前に出て確認してみました。

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今年の4月28日にグランドオープンした「ハピリン」という名前の「福井の新ランドマーク」。

21階建で、1,2階がグルメ・ショッピングフロア、3階が多目的ホール、4階は総合ボランテイアセンター、そして5階にはプラネタリウムがあるそうです。6階~21階は住宅とのことでした。

「パピリン」は2日目にゆっくり見学させていただけるとのことで、今回の旅行幹事であるM君の車で昼食会場へ向かいました。

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美味しい中華料理をいただきながら、M君から2日間の行程の説明がありました。

1日目は、勝山市内を見学して大野市で泊まり、2日目は大野城はじめ大野市内を見学して福井駅に戻り、「パピリン」を見学して解散する予定、とのこと。

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昼食後早速、福井北ICから「中部縦貫自動車」を利用して勝山を目指しました。

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中部縦貫自動車道は、長野県松本市を起点とし、岐阜県高山市の飛騨清見ジャンクション(JCT)で東海北陸自動車道に接続、同道を経たのち白鳥JCTで分岐し、福井県福井市に至る高速道路。

福井県内の建設状況は下図の通りで、今年中に福井北から大野まで全通するとのこと。

今回は福井北ICから勝山IC(一部区間はまだ未開通)を利用しました。なお大野ICから油坂峠IC間の開通(全通)予定はまだ先のことになるようです。(続く)

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